「極端」からの脱却:市民参加の森づくり その大きな役割 [①森林業]
京都市左京区の大文字山周辺では、国有林、京都市、地元市民団体、社寺等の関係者が連携して森づくり活動に取り組んでいます。
この一帯は私の子供時代の遊び場で、40年近く親しんだ山でもあ ります。 その頃の大文字山は、麓は今と同じように暗く、山の上はもっと明るかったと思います。シイ林の整備が行われたエリアは、地元関係者、専門家の意見をまとめた結果、ごく狭い範囲であったものの、「ここは手を付けずに残したい」「ここは拡大を防ぎたい」という意向がはっきりしました。残したいエリアは昔から暗い森だった所でした。こうした意向のベ ースにあるものは、「科学性」、「昔の記憶」、「歴史」、「信仰」などであると思い ます。
プロでなければできない作業、市民参加の森づくり作業が向いている作業があることがわかりました。例えば伐採はプロの仕事ですが、伐採後の萌芽処理は、剪定ばさみを使 ってできる楽しい冬の作業でした。
↑ シイノキ伐根からの萌芽
次なる課題は、残材の有効利用です。昨年12月に、森林バイオマスの利用を考えるイ ベントが開催され、関係者の範囲が利用の分野まで一気に広がることを体感しました。
森は多少のわがままには答えてくれます。極端がいけないのです。極端な伐採が過去の森林災害を、極端な放置が現在の環境問題につながっているのだと思います。
市民が森に関心を持ち、議論を行いながら手を入れ続けてゆくことは人にとっても、森にとっても大変良いことだと思います。
1)大学、試験研究機関など経験・知識ある人の意見を聞き、
2)関係者がよく話し合い、
3)意見を融合して「妥協点」を求め、
4)実行することが
地域にとって最高の森づくりだと思います。
2006.5.19 シイノキシンポジウムから思うこと
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