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京大芦生森林軌道 [③森林鉄道]

6月、京大芦生森林軌道を訪ねました。入林手続の後、灰野まで歩いて往復しました。

 

↓ 起点(研究林事務所)付近 機関車の屋根がなくなっている 

 

↓由良川源流を渡る橋梁 手すりの幅=建築限界 は1.5m

 

↓ 杉木立の中を進む 起点から500m付近。

↓ 灰野付近 交換設備が残っている

 


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大杉谷森林鉄道 [③森林鉄道]

かつて三重県の宮川上流 大杉谷に森林鉄道が走っていました。

調べてみると、単に宮川沿いを走るのではなく、宮川上流の大杉谷から、尾鷲に近い別流域の船津へ、軌道・インクライン・索道をつないで木材を搬出した二十数キロに及ぶ一大プロジェクトだったようです。

ルートは、船津貯木場~(軌道)~柚ノ木~(2段インクライン)~水越峠~(軌道)~架線場~(大杉谷索道で宮川横断)~索道終点~(軌道:大杉谷上線)~(不動谷索道)~(軌道:不動谷線)

昭和6年に部分開通、昭和27~8年に全盛期、昭和33年に船津~架線場 間廃止、昭和49年頃全線廃止。

西裕之氏著「全国森林鉄道」を予備知識に、できれば大阪営林局管内の森林鉄道を調査された伊藤誠一氏著「林鉄の軌跡」を読んでから現地に行きたいと思っていたのですが、こちらは絶版で手に入りません。

まあ、とにかく一回行ってみるか・・・というわけで、国土地理院1:25,000地形図「引本浦」と、「大杉峡谷」を携え、青春18きっぷで朝6時に京都を出発しました。

↑よく停まる伊勢市行き各駅停車。アーバンライナーとの「並び」 津にて

 

 ↑よく停まる伊勢市行き各駅停車。阿漕で快速「みえ」と交換。

予定では船津へJRで行き、そこから歩こうと思っていたのですが、この日は3月初旬にしては寒風強く、車内で地図を眺めているうちに、目的地はけっこう深い谷であることもわかり予定変更! 

松阪でレンタカーを借りました。

レンタカー(トヨタist)にはカーナビが装備され、船津駅をセットしておけば、途中でどう脱線しようと常に船津駅までの最短ルートを表示し続けてくれました。車+地図情報+風よけカプセルで6千円は安い借り物です。

途中、阿曽で「エコミュージアムセンター」を発見しました。

中に入り、道路状況と森林鉄道について尋ねたところ、スタッフの方が親切に大杉谷まで電話をかけて調べてくれました。

船津から大杉谷へ抜けるルートは災害で通行不能、森林鉄道を知っている方はあいにくお留守でした。

12時過ぎ、船津駅に着き、近くのお年寄りに話を聞きました。

 ①船津駅南側の自動車学校が、昔の貯木場跡。

 ②森林鉄道は貯木場から、大河内川沿いを登った。

 ③途中にインクラインがあった。

 ④軌道跡は道路になっている。軌道跡は残っていないと思う。

森林鉄道のルートが銚子川沿いでないことがはっきりし、大河内川沿いを行くことにしました。

写真①船津駅 

↓跨線橋上から多気方面を眺める。右側の自動車学校が貯木場跡

  

写真②落合橋付近

ここは、大河内川支流の瀬場谷にかかる落合橋です。橋の下流側にコンクリート橋梁の残骸がありました。落合橋の架設は昭和39年、森林鉄道の廃止は昭和33年。森林鉄道の橋である可能性は高いと思います。

写真③河床上昇で枯れた森林

 台風災害の爪跡は大河内川流域もすさまじいもので、河床が土砂ですっかり埋まっていました。ここではヒノキ林が埋没し枯れていました。おそらく数メートルの土砂が新たに堆積したように思います。

写真④インクライン跡

 途中で車を置いて、林道を歩くこと30分、地形図から推測するとインクラインの位置はこの谷です。谷沿いの広葉樹と針葉樹の境界が直線的ですね。

ここで午後3時。そろそろ帰途につかないと、京都までたどり着けません。

松阪で車を返し、帰りの列車で軽く一杯・・・・。

青春18きっぷ+レンタカーの旅は、「濃い旅」になりました。

 

 


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赤沢森林鉄道探訪記 [③森林鉄道]


↑森林鉄道記念館から乗り場を眺める

1 行った日 2006年7月29日(土)

2 赤沢森林鉄道の概要(乗車の時にもらったパンフより)
 ① 運行開始 昭和62年
 ② 運行目的 林業に活躍した鉄道施設の保存(上松町観光協会が運営?)
 ③ 運行距離 1.1km(森林鉄道記念館~丸山渡)
 ④ 運行車両 4tディーゼル機関車+客車5両
 ④ 乗車料金 大人700円、子供400円(片道設定なし、8月5日~15日は別料金)

↑ 30分間隔 待たずに乗れる森林鉄道

3 森林鉄道記念館の保存車両
   SLボールドウィン1号機、C型ディーゼル機関車、F型ボギー式ディーゼル機関車
   モーターカー、貴賓車、理髪車、制動車、タンク車など
  丸山渡にやまばと号客車、ほか保守用現役と思われる無蓋車あり 
 
↑制動車 究極の個室車 車長より車幅の方が広い!

4 探訪の記録

↑ 森林鉄道乗り場 機関車の入れ換え中

↑ 出発 時速7kmの旅 

↑ 線路はほとんど平坦 緑の中に吸い込まれるよう・・・丸山渡へ向かう

↑赤沢名物オオヤマレンゲ すっかり花を落とし、元気に光合成に励んでました 

↑ピン・リンク式連結器。1往復の間に4回の付け外しが行われる。実に仕組みがわかりやすい連結器である。丸山渡にて。

↑丸山渡にて。機回しのあと発車 板張りのホームと歩道がある。

↑森林鉄道記念館 森林鉄道って、「林道」なんや~。

5 感想
 森林鉄道よかです。歩く森もいいけれど、乗って眺める森もいいですね。

↓木曽から伊那へ ついに開通!権兵衛トンネル 左側の坑口は先進導坑か?


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なぜ今森林鉄道か? 市民と森林を森林鉄道で結ぼう! [③森林鉄道]

なぜ今森林鉄道か?
1 鉄道はエネルギー消費が少ない!
 鉄道は鉄の上を走りエネルギー消費量が少ない。例えばトンキロ当たりのエネルギー消費効率は鉄道を100とした場合、営業用トラックでは603と言われている。
(JR貨物HPより)

2 山から木をおろすのに化石エネルギーはいらない!
日本では、森林(生産地)が山地にあり、町(消費地)が川下となるので、搬出時にはほとんどエネルギーを消費しない。運搬台車の運び上げ、作業員の輸送が機関車の主な仕事。薪を燃料とするSLを使えば化石エネルギー使用ゼロ。(戦前の多くの森林鉄道がそうだった)

3 地球に与えるダメージが少ない!
 幅員が狭く(2m程度)、大型トラックの通行する林道のおよそ半分。土木工事の量が少なくなる。

4 「鉄道」であり、もちろん旅客も輸送できる
 木材を搬出しないときは、森林散策や観光などの人員輸送ができる。森と人の距離を近づけることができる。

 森林散策に向かう人員輸送用モノレール ~府民の森ひよし「新緑祭2006」にて(京都府南丹市)~

5 鉄道として使わなくなってからでも使える
 鉄道規格の縦断勾配であれば、線路撤去後でも舗装すれば車椅子の通行が可能であり、廃線敷きや休止路線でも森林療法のコースなどとして利用できる。

6 森林鉄道を活かした市民参加のバイオマス循環林をつくろう
 現役の森林鉄道は、京都大学の芦生森林軌道と屋久島の2路線しか残っていないと言われています。もう森林鉄道の役割は終わってしまったのでしょうか?

極端に放置された里山を再び活かす方法があります。
① まず、放置された大木を少しづつ伐採し、運びおろしてチップにします。
② そのチップを乾かし、粉にして固めてペレットにします。
③ ペレットにすればペレットストーブとして町の中の家でも使えます。
④ そうすれば、市民が里山整備の活動に参加したごほうびにペレットをもらうことができ、ペレットストーブも普及します。ペレットをgetする楽しみも増えて、森林づくりに参加する市民はますます増えるでしょう。 
⑤ 伐採した後には植林を行います。これも市民参加で行います。
⑥ ①~⑤の輸送を森林鉄道が一手に引き受けます。ひとつの山をいくつかのエリアに分けて数年づつずらして繰り返し、その間を森林鉄道でつなげば、永久に森林資源を生産し続けられるバイオマスの森が完成します。
これ、やりませんか? 


      ↑数少ない現役路線 京都大学芦生森林軌道 研究用にしか使われていない
       「もったいな~い」


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高野山森林鉄道跡を訪ねて [③森林鉄道]

高野山森林鉄道は、紀ノ川沿いの九度山を起点に、途中細川で花坂線が分岐し、高野山を東西から挟み込むような路線を形成していました。
明治38年に開通、大阪営林局高野営林署の運営で主に国有林の木材搬出を行い、昭和38年に廃止となりました。

2005年11月27日、スルっと関西高野山1dayチケットを使い日帰りツアーを楽しみました。早朝に京都を出て、午前10時に紀伊細川駅に降り立ちました。
駅から西へ、長い坂を降りきったところが細川の分岐点跡です。
西 裕之氏著「全国森林鉄道」77ページの写真(高橋弘さん撮影)を手がかりに歩きました。
半世紀前の写真ですが、山や川の形、当時の面影を残す建物から通過地点が想像できます。

         写真1 細川の分岐点

細川の分岐点は本線と花坂線がしばらく並び、花坂に向かう谷をやや過ぎてから本線と別れ(写真1),築堤・橋りょう・切り通しと、U字形にカーブしながらやや戻るように花坂方面に向かっています。このあたりの様子は(図)にまとめましたのでご覧ください。

      図  紀伊細川付近見取り図 
行く前の予想では地形どおりに川と一緒に分岐していくのかと思っていたのですが、実際にはかなり大回りして高度を稼いでいました。
橋本まで戻り友人と合流し昼食、午後は極楽橋付近を歩きました。
このあたりは大正2年にインクラインが紀伊神谷付近に開設され、一時支線化し、戦後インクラインが廃止され再び本線化されたところです。

   写真2 道路橋の下に残る石張りの橋脚
この歴史から考えると、インクライン化されたあとに南海電車が開通し、再び本線化したときには南海電車が先住者として存在していることになり、この線形は納得できますが、何分定かではありません。
この道路橋を反対側から見たところが(写真3)です。

   写真3  写真2 の橋を紀伊神谷側から撮影 トンネルの奥が極楽橋駅 
何となく森林鉄道の味を含んだ橋ですが・・・どなたかご存知の方がおられましたら、ご教示ください。

結局この日の歩数は33,000歩。いい運動になりました。
軌道跡を歩いた感想は、本当に傾斜が緩いですね。


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  • 作者: 西 裕之
  • 出版社/メーカー: JTB
  • 発売日: 2001/10
  • メディア: 単行本


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