JR嵯峨野線複線化 2009年9月23日 花園~嵯峨嵐山 [②旅・鉄道]
↓2009年9月23日 花園駅発車 上り線の路盤は、ほぼできあがり、線路敷設中
↓ 太秦映画村に向けて高架橋を駆け上がる 上り線の架線は未設置
上り線犬走りに置いてある板、何だろう・・・下り線では見当たらない・・・
↓ 映画村前からは下り坂。坂を下りきると太秦駅
↓ 太秦駅入線
上り線の脱線転轍機の先が、新設線につながっている。
↓ 太秦駅で列車行き違い 113系(かぼちゃ電車)は希少種
その113系も最近は5700番台(湖西線開業当時の新車)が多いです。
※かぼちゃ電車:亀岡市民は、湘南色の電車をこう呼ぶそうです。
↓太秦駅発車
↓ 太秦~嵯峨嵐山間 線路は以前に比べ、ずいぶんまっすぐになりました
↓ 嵯峨嵐山駅入線
↓嵯峨嵐山駅 南側の待避線はまだ線路がつながっていません
亀岡到着 この日乗車した電車はクハ220ー11でした。
JR嵯峨野線複線化 2009年2月 [②旅・鉄道]
↑ JR嵯峨野線複線化工事 2009年2月の様子です (花園~太秦)
↓ 京都駅発 この先単線。複線分の用地も見あたりません。
↓
↓ 大宮通付近 まだ単線です
↓ 東海道線と別れて北曲がるあたり。分岐点が出現。
えっ?ここまで単線?
↓ 丹波口駅 西側に増線
↓ 丹波口を出てからの登り勾配は四条通を過ぎると下り勾配に変わり二条駅まで続く。
↓ 二条駅接近 複線化すると軽いSカーブになるのかな?
↓ 花園駅
花園陸橋を潜った後、一気に高架へ。
↓ 太秦映画村を過ぎると下り勾配に
↓ 太秦駅接近
↓ 太秦駅発車
嵯峨嵐山駅接近
↓ 馬堀発車 馬堀~亀岡は複線化完了
↓ 亀岡駅接近 左に大きくカーブして亀岡駅ホームへ
↓ あ~っ亀岡に着いたな~・・と感じる牛松山
大隅半島 鹿屋 嘉例川 人吉 [②旅・鉄道]
2日目はレンタカーを借りて大隅半島を巡りました。照葉樹の森に行きたかったんですが、朝から大雨洪水警報発令。午前中は鹿児島市内観光に変更し、午後鹿屋まで行きました。
↓ 新型プリウスを初運転。カーナビの言うがままに市内を走る。
久々のカーナビ使用。大変便利ですが、市街地のルート設定は、信条の違いを感じました。
↓ 仙厳園 観光寺院と門前商店街を一体化したような施設でした
↓ 桜島に渡り、火山砂防センターを訪問
↓ 垂水付近 船、筏、ブイなど いろいろ浮かんでにぎやかな海です
↓旧鹿屋駅付近に建つ鉄道記念館 鹿屋駅跡は市役所になっていました
ここでカーナビの目的地を鹿児島空港に設定。山の中を走るコースを提示してきました。
途中で道案内を見つけて「きほく上場公園」へ。山道を走ること10分で・・・・
↓ 桜島の東側に建つ風力発電の群れ ちゃんと回っていました
↓ 「きほく上場公園」から眺める桜島。神秘的です。
↓ 嘉例川駅 鹿児島空港から車で10分。空港最寄駅でもあります。
線路付け替えて鹿児島空港経由にすればいいのに・・・・
↓ レンタカーは鹿児島空港で乗り捨て 燃費は16km/L 期待に及ばず
↓鹿児島空港から人吉ゆき空港連絡バスに乗車。
鹿児島周辺は、鉄道網とは別に空港連絡バス網があって、こちらの方が頻繁に運転され便利です。例えば鹿児島→人吉なら、空港バスを乗り継いで約2時間で移動できます。空港はバスターミナルでもあるのです。
↓ 夕方、人吉着。素泊まり3900円の温泉旅館に宿泊しました。夕食は「上村うなぎ屋」で。
旅館の玄関が、なぜか宴会場になっていて宴たけなわの近くの病院職員御一行さまが、うなぎ屋まで案内してくれました。みんな口々に「うなぎ屋」と言っておられましたが、行ってみる看板も「うなぎ屋」でした。
金山蔵 鹿児島旅行 [②旅・鉄道]
8月末、九州(主に鹿児島・熊本)を旅しました。
↓ 工事たけなわの博多駅 九州の列車は、思わず乗りたくなる列車が多いですね。
↓ 博多駅 右側の列車に乗りました。
↓ 大牟田
新八代で新幹線に乗り換え、川内から在来線で串木野に行きました。串木野からタクシーで1000円、金山跡を焼酎蔵にした「金山蔵」を訪ねました。
↓ 地上駅 ここから地下の酒蔵(鉱山跡)へ
↓ これぞ「酒飲み鉄ちゃん」のパラダイス。トロッコを待つ横に焼酎の試飲コーナーが・・・
↓ 帰りは歩くことにしました。金山蔵を出た真正面には列状間伐のスギ林。
山に縦筋を入れるのには抵抗感がありますが、合理的な間伐方法として注目されています。
↓ 国道3号線を串木野市内へ。焼酎の次は「さつまあげ」、最高です。
串木野から在来線で鹿児島中央へ。川内~鹿児島中央間の在来線がJRというのは不思議でした。並行在来線は3セク化が原則だったのでは?「JR九州のおいしいとこどりやんか」と思っていました。
いざ現地に来てみると、乗客は多く、これだけの乗客が3セク化により、
①割高な運賃を支払う。
②博多・熊本・鹿児島(鹿児島中央の次の駅)等へ通し運賃で行けなくなる。
デメリット回避という面があると感じました。
↓ 鹿児島中央駅 3本の列車が写っています。
↓ 鹿児島中央駅前 芝生が眩しい。これ、よろしいなあ。
↓ 郡元 鹿児島中央から谷山方面はここで乗り換え
↓ 「まことちゃん」のような市電谷山駅 おもしろい!
↓ 新車が並んだ谷山駅
鹿児島市内のビジネスホテルに泊まりました。なんと温泉付きでした。
3月28日 嵐電天神川駅開業 [②旅・鉄道]
2008年3月28日、嵐電天神川駅が開業しました。(12月、9月撮影とほぼ同じ位置)
1月に開業した地下鉄太秦天神川駅と、エスカレーター2本でつながりました。朝ラッシュ時運転の2両編成が到着。
しかし、完成予想図↓と少し違っています。予想図では地下鉄入口に直結して四条大宮行きホームが描かれています。
実際はホームと地下鉄入口の間に道路(三条通東行)がありました。 (四条大宮側から嵐山方面を望む)
鉄道と道路の関係で考えれば、こうすることで踏切は四条大宮側の1箇所で済み、三条通を東進する車は線路を渡らずに進めます。
でも歩行者は道路を横断しなければなりません。この駅は観光客にとっても嵐山と東山を結ぶ結節点。地下から地上に出たら「あ、電車が来ている!」 これ、旅人が「小パニック」を起こす瞬間だと思います。
世の中の電停はみんなこうだ!と言ってしまえばそれまでですが、当初、鉄道利用者を優先するプランであっただけに残念かつ何か事故予防策がいると思いました。
京都地下鉄東西線 開業2週間前 嵐電新駅は3月開業 [②旅・鉄道]
地下鉄東西線 二条~太秦天神川間の開通は、1月16日に決まりました。
大晦日、開通2週間前の太秦天神川駅周辺を歩きました。寒かった・・・・
↓ 9月に来たときと同じ場所(蚕ノ社西行バス停前から)
嵐電の新駅開業は3月になるそうです。
線路の移設がはじまり、四条大宮行き線路が移設
↓ 上の写真の数秒後 およそ線路1本分横へ移動
四条大宮行きはここで一旦停車していました
JR嵯峨野線複線化 2007年12月 [②旅・鉄道]
12月15日、園部ゆき快速の車窓から眺めました。
(花園→嵯峨嵐山、馬堀→亀岡)
複線化の完成は待ち遠しい限りですが、毎日列車を走らせながらの工事は想像以上に難しいようです。側窓からではなかなかわかりませんが、先頭車両から眺めると、その苦労を垣間見ることができます。
↓ 花園駅通過
花園~太秦間は、単線分の高架がほぼ完成し、線路敷設中。
花園駅から花園陸橋に向けて一旦地上に降り、陸橋をくぐると再び高架となる。
ちなみに花園陸橋を500mほど南下すると地下鉄東西線太秦天神川駅がある。
↓ 花園~太秦 中間付近
高架の最高地点(青信号の先)が東映太秦映画村前の踏切。踏切を過ぎると再び地上に降りる。
この踏切を立体化するための高架のようだ。
↓ 太秦接近
左側の高架が地上に降りて、太秦駅に進入。
太秦駅はもともと左側の2番線を直線側としていたが、この時点で逆転している。
↓ 太秦通過
太秦駅 幡生側は従来通りの配線。
↓ 太秦~嵯峨嵐山 中間点付近
南側で路盤工事。線路は北側に。
↓ 嵯峨嵐山 停車
橋上駅の骨組が一気に出現した嵯峨嵐山駅。列車が入線する左側3番線は仮ホーム。
仮ホームは旧3番線を覆うように線路1線分、北側に張り出している。
1番線(右側)に行き違い列車が待避中。
嵯峨嵐山~馬堀間は 既に複線化されています
↓ 馬堀 通過
馬堀駅を通通過して数百メートルのところで単線となる。
ここから先は盛土を北側に貼付けるようにして線増工事が行われた。
この時点で新線に切り替わっっていた。
↓ 亀岡接近
亀岡駅の数百メートル手前で左側旧線に転線する。
↓ 亀岡
右側の新しい線路は1番線(上り)、分岐右側は旧2番線で使用停止。
列車は分岐左に進み、さらに3,4番線に分岐する。
駅名植物図鑑 植物名のみの駅名 [②旅・鉄道]
↑ 草津線の起点(関西本線に接続)柘植駅
先日行った三江線「竹」駅。
竹田、竹原、大竹、竹野・・・と、竹の付く駅名は数あれど、
ズバリ植物名の駅名は新鮮でした。
他にも植物名だけの駅名はないかなあと、探してみたら・・・・・
けっこうありました。
桂(阪急 京都線):カツラ=カツラ科
葛(近鉄 吉野線):クズ=マメ科
桜(名鉄 名古屋本線・近鉄湯の山線)サクラ=バラ科
※サクラはバラ科サクラ属の一部
楠(近鉄 名古屋線):クス=クスノキ科
柳(近鉄 鈴鹿線):ヤナギ=ヤナギ科
※ヤナギは、ヤナギ科ヤナギ目の総称
萩(JR西日本 山陰本線):ハギ=マメ科
胡麻(JR西日本 山陰本線):ゴマ=ゴマ科
椿(JR西日本 紀勢本線):ツバキ=ツバキ科
柘植(JR西日本 関西本線・草津線)ツゲ=ツゲ科
※ツバキは、ツバキ科ツバキ属の総称
山吹(JR東海 飯田線):ヤマブキ=バラ科
柏(JR東日本 常磐線)カシワ:ブナ科
蕨(JR東日本 東北本線)ワラビ:コバノイシカグマ科(山菜)
昆布(JR北海道 函館本線)コンブ:コンブ科
※コンブはコンブ科の一部
思いつくままに書き出したらこんなところでした。
皆様さらにご存知でしたら、コメントよろしくね。
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三江線から世界遺産石見銀山へ [②旅・鉄道]
石見銀山に行きました。
これぞ広島から石見銀山へのメインルート!
と、思って乗った芸備・三江線ルート
広島から5時間の「ゆったりほとんど貸切状態」の旅でした。
このコースオススメです。
0754 広島
(芸備線普通 三次行き)
0946 三次着 ↓手前は広島から到着したキハ47系2連。遠方切欠ホームに停車中のキハ120単行が三江線石見川本行き。
1002 三次発
三江線を三次から江津へ、ひたすら江の川を下る。乗客は最多=三次発車時12人、最少=口羽付近3人でした。
↓ 粕淵を過ぎて江の川を渡り左岸側に出ると、極端に徐行区間が多くなる。この先30キロ規制
↓ このような名前の駅があるなんて知りませんでした。駅名板のバックは竹林です。
1207 石見川本着
↓ 石見川本駅前 営業中は自販機ばかり。淋しい!
ここは国や県の事務所が多く、平日はもかから賑わっているそうです。(後述運転手さん談)
1215 石見川本発
石見交通バス 大田バスセンター行きに乗車 途中2停留所目から乗客は私一人になる。
運転手さんから降車地など聞きました。
(要約)
① 10月に石見銀山駐車場前に、石見銀山世界遺産センターができた。銀山の概要を知りたいなら、ここのシアターを見るべし。
② 駐車場から町並み地区(大森代官所跡)へバスが15~20分毎に走り、さらに代官所跡から15分毎に龍源寺間歩までバスが出ている。
③ このバス駐車場から大森代官所跡までは満員になるだろう。
④ 昼食が食べられるところは町並みの中にそば屋が二軒。
④ 世界遺産になって多くの人が来るようになったが、ほとんどマイカーと観光バス。
⑤ 人は増え、玉造温泉は賑わっている。しかし地元に金は落ちない。
途中、ウリ坊(イノシシの子)の道路横断にバスは徐行するが、降車地の石見銀山駐車場前までバス停に人の影は見えず。
1255 石見銀山駐車場着 運転手さんありがとうございました。
バスを降りたところが石見銀山世界遺産センターでした。
↓ まずは世界遺産について ↓↓これ、わかりやすい説明です。
世界遺産とは、人類が共通に理解できる価値をつくることなんですね。
小さい頃はネッシーのお風呂かと思っていた「ユネスコ」について、詳しく知るきっかけになりました。
さて、話は石見銀山に戻って・・・・・
ガイダンスの映像を見た後、駐車場から五百羅漢そばのそば屋まで歩いて15分。
ここで遅めの昼食。
銀山川を上流に歩き、龍源寺間歩を目指しました。
↓ 下河原吹屋跡
精錬への計画的な燃料供給も石見銀山の特長
「石見銀山遺跡とその周辺では、かつて製錬に必要とされた膨大な木材燃料の供給が、森林資源の適切な管理の下に行われたことにより、今日でも豊かな山林を残しています。」(石見銀山HPより)
↓ 龍源寺間歩 の手前にある 福神山間歩
↓ 龍源寺間歩前 満員のマイクロバスが15分毎に行き交う。
吹屋跡、精錬所跡などゆっくり見ての徒歩コースがおすすめです。
↓ 上写真の橋右側に立っている看板
↓龍源寺間歩入口
↓ 龍源寺間歩内部 本杭から直角に伸びた支坑が無数にある。ここは広い方で高さ1m程度
龍源寺間歩から大森代官所跡まで帰途も歩く。
↓ 途中、清水谷精錬所跡に立ち寄る
↓ 上の地図「現在地」の位置から トロッコが走っていたそうです
遊歩道を下って町に戻る。
↓ 町中の電線、地中化工事の真っ最中。
大森代官所跡でバスを待ちながら地元のおじさんと雑談
(要約)
① 世界遺産になったので電線を地中化しているのではない。地中化していたら世界遺産が決まった。
② 世界遺産は数年前に申請して、半ば忘れた頃に突然決まった。
③ 決まったら突然観光客が増えた。
④ これだけの訪問者は人口450人の集落には荷が重い。私は50代後半だが集落では若手です。
⑤ 若者が帰ってこないかって? 帰ってこないだろう。
笑顔は絶やさず、されど結構深刻な話でした。
1610 大森代官所跡発
(石見交通バス)
1625 仁万駅前 ↓小さな駅の列車到着前、今乗ってきたバスとタクシーが1台ずつ。懐かしい光景だ。
1645 仁万発 ↓キハ125系2連出雲市ゆきに乗車。
出雲市接続最終「やくも」~最終「名古屋のぞみ」と乗り継ぎ、その日のうちに京都まで帰りました。
交通社会実験 トランジットモール 京都 [②旅・鉄道]
↑ 四条烏丸にて
↓ こういう仕組みです。(垂れ幕)
↓ 実際にはこんな感じでした。人通りの多いところは、格段に歩きやすくなりました。
↓バス停は片側二車線。バスがバスを追い越すことも可能。でも、その分歩道の幅は変わらず。
ちなみに歩道と車道を仕切るバリケードは紙製でした。
↓ バス停前は最も人通りの多いところで、人の流れも滞りがち。
↓ 4台もバスが並ぶと、片側2車線部分からはみ出してしまうが、それでもタクシーは通行可能。
↓ 百円循環バスは実験期間限定で大増発。ちなみにいつもは10分間隔です。
↓ 烏丸蛸薬師から四条烏丸方面。百円バスの車内から。烏丸通はいつもよりチョイ混みぐらい。
【とりあえず本日の感想】
1 路面電車で、トランジットモールができれば最高です。
2 バス停部分こそ歩道幅を拡げてほしいところ。
3 地下鉄・阪急・京阪など既存高速鉄道ともうまく結束して、100万都市らしいトランジットモールができたらいいと思います。
京都地下鉄東西線 二条-太秦天神川 開業4ヶ月前 [②旅・鉄道]
↑正面が右京総合庁舎 その左側地下に地下鉄駅。
嵐電新駅は電車の道路左側付近に
2008年1月地下鉄二条~太秦天神川 開通が決まりました
開業4ヶ月前の西大路御池~太秦天神川付近を訪ねました
アメニモマケズ
↓地下鉄延伸工事の看板 西大路御池~太秦天神川にて
↓西大路御池駅 出入口の工事たけなわ
西大路御池交差点南側から西北方向を望む
↓西大路御池南行バス停から南を望む
↓天神川御池交差点 三叉路の先で地下鉄太秦天神川駅
工事中
↓ 蚕ノ社付近 冒頭の写真の撮影位置から反対側を向いたところ
ふりかえるとがらっと雰囲気が変わる
ハイブリッド気動車と小海線周辺の旅 [②旅・鉄道]
キハE200ハイブリッド気動車に乗りました(8月5日)
↓ 小淵沢に到着するキハE200
小淵沢から野辺山まで乗りました。
感想
1 発車時
静かの一言に尽きる。動き出してもエンジン停止、モーター音ほとんどなし、VVVFの起動音も気にならない程度。
2 発車後
ホームを離れたあたりでエンジンが回り出す。これまでのディーゼルカーのエンジン音ではなく、夜間工事でよく耳にする静音型発電機の音に近い。
3 その後停車まで
次の駅到着まで延々とこの静音型発電機の単調な音が続く。
4 次の駅に停車
列車が止まると、いつしかエンジンも止まる。その後は静かの一言に尽きる。
以上、1~4の繰り返し。
技術の集大成と思いますが、退屈でした。眠くなるけど寝られないこの音・・・。
この感覚、昔12系客車の床下電源付き車両で経験した「物語性のない」あの音です。
鉄道サウンドは起承転結が大事ですね。
↓軽やかなエンジン音からも起承転結が伝わってくるキハ110系(甲斐小泉)
「起」の空気が一気にあたりを支配し、そっと消えゆくひととき
【信州早回りアルバム】
↓小淵沢駅 改札から小海線に乗るには、地下道から中央線ホーム(写真右側)に上がり、少し歩いてさらに跨線橋を上がるので、けっこう面倒でした。↓
↓はまかいじ 茅野駅にて 185系というよりE117系と呼びたくなります。
↓ 上諏訪にて
↓ 松本にて 改札が橋上に移り、少し使い勝手が変わった松本駅。
相変わらず駅の横に車庫、というのがうれしい。↓
↓ 辰野駅 クモハ123健在。
↓ 信濃川島 クモハ123から
単線化されたが、長いホームは健在。発車後、忘れた頃にホームが切れる。
夏の終わりの18きっぷ 飯田線本長篠と名鉄豊川線の旅 [②旅・鉄道]
↓飯田線 野田城
0548京都発
↓ 甲種回送を追い越す 野洲
0655米原発
0729大垣着
0747大垣発
0907豊橋着
0919豊橋発
↓ 複線区間
1021本長篠着
1215鳥居発
1225三河東郷着
↓設楽原歴史資料館から馬防柵を望む
1412三河東郷発
1440豊川着
1455豊川稲荷発
快速急行
1535新安城着
1538新安城発
1542北安城着
1603JR安城発
1625金山着
1640金山発
1717大垣着
1732大垣発
1807米原着
1821米原発
1912京都着
長篠の合戦 真っただ中を走る飯田線 [②旅・鉄道]
↓ 長篠城本丸の中を突っ切る飯田線
青春18切符の最後の一枚を使って、本長篠まで往復しました。
長篠合戦地を実際に歩き、設楽が原と長篠城の距離感、陣地間の徒歩時間など実感できました。
徒歩で1時間弱の範囲、電車なら茶臼山、三河東郷、大海、鳥居、長篠城の5駅間です。
飯田線は設楽が原古戦場を横切り、長篠城本丸内を走っています
↓本長篠駅前の案内板 合戦全体の範囲がわかる
どれほど近いのか開戦直前、兵員輸送に追われる飯田線の車内放送から味わってみましょう
深く考えず、さらっとお読み下さい。
(車内放送)
臨時快速 本長篠ゆきです。 この先各駅に停車します。
戦場を走行しますので、一般のお客様は旅行中止をおすすめします。
次は茶臼山です。
織田本陣、北畠信継様、織田信忠様の陣地はこちらが便利です。
お降りのお客様に通路をお譲り下さい。
次は三河東郷です。
織田・徳川連合軍の皆様、岐阜・岡崎からのご乗車お疲れさまでした。
徳川本陣はじめ最前線は次でお降り下さい。
お降りの際、木杭など長尺物にご注意下さい。
駅前から豊橋方の踏切を渡り、連吾川に沿って陣地へお進み下さい。最前線まで歩いて10分程度です。
駅前辰野方は武田方、山県勢の陣地ですので挑発しないようお進み下さい。
↓三河東郷駅
お客様にお知らせします。
この先、武田方の陣地を走ります。
弓矢等にご注意下さい。まもなく発車します。
次は大海です。
車窓左手に武田方内藤昌豊様 陣地、その先右前方に武田勝頼様 本陣が見えます。
兵移動のため、やむを得ず急停車する場合があります。
大海です。
ご乗車ありがとうございます。
本長篠行きです。
むかで衆のみなさま、お疲れの所恐縮ですがペットの持ち込みは禁止されております。
馬は乗車できません。旗指物はたたんでご乗車下さい。
携帯電話での伝令は他のお客様の迷惑になりますのでおやめ下さい。
次は鳥居です。長篠城包囲軍の陣地は、次の鳥居、その次の長篠城です。
途中に深い谷がありますので陣地を地図でお確かめの上、最寄り駅でお降り下さい。
次は長篠城です。
この先兵糧攻めの城内を走りますのでご注意下さい。
外ではどなたか磔になっています。
鉄橋を渡ると長篠城本丸です。
兵糧の投げ込みは武田方からきびしく止められておりますのでご遠慮下さい。
この先、瓢曲輪で発生した沿線火災の影響で徐行します。
まもなく長篠城です。
この電車は本長篠行きです。
設楽が原方面へ出陣のお客様、反対電車をお待ち下さい。本長篠へ戻ってのご乗車は折り返し運賃をいただきます。
ご乗車ありがとうございました。次は本長篠終点です。鳳来寺方面は馬をご利用下さい。
飯田、伊那、諏訪方面はあとの列車にお乗り換え下さい。
武田軍の皆様、引き揚げには馬より速く諏訪まで直通!安全・快適な飯田線をご利用下さい。
蜂須賀小六出生の地 青塚 [②旅・鉄道]
↓ 名鉄津島線青塚駅 駅前の踏切前に「蜂須賀城址北へ3丁」の石碑。
秀吉に仕え墨俣の一夜城大作戦を支えた「蜂須賀小六」、山賊のイメージが強かったのですが、出生・居城の地は以外にも濃尾平野のど真ん中、清洲・中村にほど近い名鉄津島線「青塚」にありました。
↓青塚駅の時刻表。上りと下りで停車本数が違う。
これは同駅を通過する急行・快速急行が上りしか設定されていないため。毎日新車を造っているわけではないようだ。
石碑に従い、北へ歩みを進めたら3丁(330m程度)進んでも一向に寺は見えず、途中で道を聞きながら蓮華寺に着きました。
↓蜂須賀城址のある蓮華寺は弘法大師の時代から。
↓ 境内の蜂須賀小六顕彰碑
青春18きっぷで訪ねる 琴電長尾線とSDカード購入の旅 [②旅・鉄道]
↓ 高松琴平電鉄瓦町駅にて
高松琴平電鉄長尾線の初乗車を主目的に、できれば徳島・和歌山まで足を伸ばしたいと前夜までは思っていました。寝坊と予想外の忘れ物のため結局岡山経由の高松往復となりました。
0814 京都発 新快速
0947 姫路着
1006 姫路発
1039 播州赤穂着
1040 播州赤穂発 車窓の写真を撮ろうとしたら・・カメラにSDカードが入っていない!
1200 岡山着
1213 岡山発 マリンライナー29号 グリーン車 かぶりつき
1308 高松着
SDカードを買うべく電器店、カメラ店を探しながら高松駅から瓦町に向けて歩く。
商店街はファッション系の店・携帯ショップ・100円ショップ・うどん屋ばかり。大型ショッピングセンターもシャッター通りの仲間入り。
悪戦苦闘の末、小さな写真店を見つけてようやく購入。高松のみなさん、電気器具どこで買ってるのだろう・・・
1438 瓦町発
もと名古屋地下鉄車両。
カードシステムが導入されていた。名は「イルカ」
↓車内の琴電路線図。イルカがうどんをすすっている。
1510長尾着
↓長尾駅 一見のどかな終着駅だが、駅前は広い駐車場、送迎のマイカーも多く鉄道対マイカーの接続駅。車と電車が集まり、散っていく光景が20分毎に繰り返される。
長尾駅でイルカを買う。2,000円也。駅前のコーラ販売機もイルカ対応だった。
1533長尾発
車窓を眺めると、郊外に大きな電器店があった。さっきの疑問、解消。最寄りの花園駅から約500m。電車の駅の周辺は淋しく、駅と駅の間に大型店があるようだ。
1603瓦町着
駅の上の天満屋は「イルカ」のキャンペーン中。8階宮脇書店もイルカ対応。イルカで本を購入する。それはそうと、宮脇書店って本店は高松だったんですね。
1643 瓦町発
1648 高松築港着
↓ 高松築港駅 右側の長尾線が20分毎、左側の琴平線が15分毎。JR駅から少し離れている(正確にはJR駅が後退した)が、高架化してJR駅の横に移転する計画があるようです。
↓ JR高松駅 連絡船の時代からすっかり雰囲気が変わった。
1743高松発 マリンライナー52号
1835岡山着
1901岡山駅前
1910清輝橋
↓ 工事中で、本来の終点より少し手前にある(仮)清輝橋電停
1940大雲寺前
1950岡山駅前
2025岡山発(山陽本線経由)
2148 姫路着
2157 姫路発
2329 京都着
おわりに:久しぶりの高松訪問でしたが昔の記憶に頼った結果、空洞化した市街地めぐりになってしまったようです。都市は生きている。しかし鉄道はそれについていってない。
地下鉄東西線新駅名決まる [②旅・鉄道]
京都市営地下鉄東西線二条~天神川の開通が来年1月に決まったそうです。
予定より2ヶ月早い開通。めでたい!
二つの新駅の名前も決まりました。
どちらも京都らしい駅名と思います。
西大路(仮称)→西大路御池
天神川(仮称)→太秦天神川
「X通+Y通の交差点=XY駅」のパターンが烏丸御池、西大路御池の2駅になりました。
座標都市「京都」らしい駅名と思います。
「太秦天神川」は新しいパターン。
全駅ずらっと文字数別に並べてみると、2文字、3文字では場所が特定しにくい駅が多いのに対し、4文字を超えるとほぼ場所が特定できます。
2文字:17駅
竹田、十条、九条、京都、五条、四条、北山、石田、醍醐、小野、椥辻、東野、山科、御陵、蹴上、東山、二条
3文字:6駅
丸太町、今出川、鞍馬口、北大路、松ヶ崎、六地蔵
4文字:5駅
くいな橋、烏丸御池、国際会館、三条京阪、二条城前
5文字:2駅
西大路御池、太秦天神川
6文字:1駅
京都市役所前
あ!寝過ごした!? [②旅・鉄道]
金ヶ崎の帰途 敦賀18:55発 新快速 長浜回り姫路行き
近江塩津までは覚えていましたが・・・・・
うたた寝の耳に「次は高槻」
しまった!寝過ごした!
と思ったら「高月」でした。
この電車 「次はたかつき」 の車内放送2回言うんですね。
敦賀 金ヶ崎 古戦場と鉄道が重なるところ [②旅・鉄道]
金ヶ崎 これより先 海または隘路
1183年、源平合戦ではじめてここに城が築かれたそうです。
1330年頃、新田義貞と足利軍が戦う
1570年、朝倉討伐に向かった織田信長が、浅井長政の裏切りで挟み撃ちとなり、ここ金ヶ崎から撤退しました。この討伐軍は信長、秀吉、家康が勢揃い、秀吉の家来に山内一豊。大河ドラマ的には超豪華キャストの合戦でした。
1882年、長浜から敦賀まで鉄道が開通し、この城跡の南側に金ヶ崎駅(後に敦賀港駅に改称)が開業しました。現在もコンテナを扱う貨物駅です。
この鉄道は、はじめて日本海側に到達した路線で、後に航路と接続して欧亜連絡鉄道の一翼を担いました。(長浜鉄道スクエアHPの年表参照)
金ヶ崎は昔から、交通上の重要地点でした。
写真①↓ 金ヶ崎宮の石段から敦賀港駅を望む
- 北陸本線敦賀駅は写真右上 2km先
敦賀駅から金ヶ崎へ
3月21日春分の日、青春18きっぷで敦賀に行きました。
写真②↓ 敦賀市内の国道8号線 道路と直角に路上駐車帯がある
- 路上駐車対策、ちょうどいい交通量ならこの手がありますね。
- 交通量が多ければ出入りが危険、駐車台数が少なければ縦列駐車で事足りる。
写真③↓ 敦賀駅から約2km歩いて金ヶ崎に到着
- 写真右寄りに見える踏切が敦賀港線。
写真④↓ 敦賀港駅
- 正面から右手に続く山が金ヶ崎城址。右寄りに三つ見える建物の真中がランプ小屋
- 線路が光っているところが嬉しい。
写真⑤ 敦賀港駅ランプ小屋
《写真左側の案内板より》
- 敦賀港駅は1882年(明治15年)金ヶ崎駅として出発した。
- 敦賀は日本海側で一番早く鉄道が通った町であり、港の荷物を直接取り扱うのが金ヶ崎駅だった。
- その後、1912年(明治45年)新橋~金ヶ崎間に欧亜国際連絡列車が週3往復走るようになり、国際港敦賀は多くの人と荷物で賑わった。 (後略)
写真⑥↓ 金ヶ崎城址に向かう道 まず金ヶ崎宮の石段を登る
写真⑦↓ 山頂「月見御殿」付近にある古戦場の石碑
写真⑧↓ 月見御殿から 敦賀湾の眺望
- 正面右から突き出ている陸地が越前岬方面。
現地に立って実感・・・・退却は一刻も早く!
信長の退却について、私は漠然と「そのまま行けばいいのに!勝てたでしょう。」と思っていましたが、現地に立ってこの地形、位置関係、距離を実感してみると・・・
①浅井(北陸本線河毛駅)が裏切った。先に続く道(北陸本線福井方面)の先に敵・朝倉(越美北線一乗谷)。
②浅井は海津(湖西線マキノ駅)に侵攻。
③しかしまだ袋のネズミではない。退路(小浜線美浜方面)はある。
こうなれば、退却は一刻も早く!と言うことになりますね。
夕暮れの金ヶ崎、今も昔も変わらぬ海や山を介して伝わる歴史絵巻・・・・
特急に乗れない私に迫り来る現実の「金ヶ崎の退き口」 退却は一刻も早く!
写真⑨↓ 敦賀駅に戻ったのは夜7時近く。福井行きの521系が発車待ち。
- 敦賀駅は、こんな顔した電車の「たまり場」になってました。
- 帰りは、長浜回り新快速姫路行きで帰りました。昔なら浅井正面突破のライン。
午後から半日の旅。歩数24,000歩でした。
KTR野田川駅の不思議な車両 [②旅・鉄道]
JR野田川駅東側の引き込み線に、このようなものが止まっていました。詳しく観察できなかったのですが、これ一体何でしょう?
機関車?巡視車?