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あ!寝過ごした!? [②旅・鉄道]

金ヶ崎の帰途 敦賀18:55発 新快速 長浜回り姫路行き

近江塩津までは覚えていましたが・・・・・

うたた寝の耳に「次は高槻」 

しまった!寝過ごした!

と思ったら「高月」でした。

この電車 「次はたかつき」 の車内放送2回言うんですね。

 


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敦賀 金ヶ崎 古戦場と鉄道が重なるところ [②旅・鉄道]

金ヶ崎 これより先 海または隘路

1183年、源平合戦ではじめてここに城が築かれたそうです。

1330年頃、新田義貞と足利軍が戦う

1570年、朝倉討伐に向かった織田信長が、浅井長政の裏切りで挟み撃ちとなり、ここ金ヶ崎から撤退しました。この討伐軍は信長、秀吉、家康が勢揃い、秀吉の家来に山内一豊。大河ドラマ的には超豪華キャストの合戦でした。

 

1882年、長浜から敦賀まで鉄道が開通し、この城跡の南側に金ヶ崎駅(後に敦賀港駅に改称)が開業しました。現在もコンテナを扱う貨物駅です。

 

この鉄道は、はじめて日本海側に到達した路線で、後に航路と接続して欧亜連絡鉄道の一翼を担いました。(長浜鉄道スクエアHPの年表参照

金ヶ崎は昔から、交通上の重要地点でした。

 

写真①↓ 金ヶ崎宮の石段から敦賀港駅を望む

  • 北陸本線敦賀駅は写真右上 2km先 

 敦賀駅から金ヶ崎へ

3月21日春分の日、青春18きっぷで敦賀に行きました。

写真②↓ 敦賀市内の国道8号線 道路と直角に路上駐車帯がある

 

  • 路上駐車対策、ちょうどいい交通量ならこの手がありますね。
  • 交通量が多ければ出入りが危険、駐車台数が少なければ縦列駐車で事足りる。

 

写真③↓ 敦賀駅から約2km歩いて金ヶ崎に到着

  •  写真右寄りに見える踏切が敦賀港線。

写真④↓ 敦賀港駅  

 

  • 正面から右手に続く山が金ヶ崎城址。右寄りに三つ見える建物の真中がランプ小屋
  • 線路が光っているところが嬉しい。

 

写真⑤ 敦賀港駅ランプ小屋

 《写真左側の案内板より》

  • 敦賀港駅は1882年(明治15年)金ヶ崎駅として出発した。
  • 敦賀は日本海側で一番早く鉄道が通った町であり、港の荷物を直接取り扱うのが金ヶ崎駅だった。
  • その後、1912年(明治45年)新橋~金ヶ崎間に欧亜国際連絡列車が週3往復走るようになり、国際港敦賀は多くの人と荷物で賑わった。     (後略)  

写真⑥↓ 金ヶ崎城址に向かう道 まず金ヶ崎宮の石段を登る

写真⑦↓ 山頂「月見御殿」付近にある古戦場の石碑 

 

写真⑧↓ 月見御殿から 敦賀湾の眺望

 

  • 正面右から突き出ている陸地が越前岬方面。

 

現地に立って実感・・・・退却は一刻も早く!

 

信長の退却について、私は漠然と「そのまま行けばいいのに!勝てたでしょう。」と思っていましたが、現地に立ってこの地形、位置関係、距離を実感してみると・・・

①浅井(北陸本線河毛駅)が裏切った。先に続く道(北陸本線福井方面)の先に敵・朝倉(越美北線一乗谷)。

②浅井は海津(湖西線マキノ駅)に侵攻。

③しかしまだ袋のネズミではない。退路(小浜線美浜方面)はある。

こうなれば、退却は一刻も早く!と言うことになりますね。

夕暮れの金ヶ崎、今も昔も変わらぬ海や山を介して伝わる歴史絵巻・・・・

特急に乗れない私に迫り来る現実の「金ヶ崎の退き口」 退却は一刻も早く!

 

写真⑨↓ 敦賀駅に戻ったのは夜7時近く。福井行きの521系が発車待ち。     

 

  • 敦賀駅は、こんな顔した電車の「たまり場」になってました。
  • 帰りは、長浜回り新快速姫路行きで帰りました。昔なら浅井正面突破のライン。

午後から半日の旅。歩数24,000歩でした。


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大杉谷森林鉄道 [③森林鉄道]

かつて三重県の宮川上流 大杉谷に森林鉄道が走っていました。

調べてみると、単に宮川沿いを走るのではなく、宮川上流の大杉谷から、尾鷲に近い別流域の船津へ、軌道・インクライン・索道をつないで木材を搬出した二十数キロに及ぶ一大プロジェクトだったようです。

ルートは、船津貯木場~(軌道)~柚ノ木~(2段インクライン)~水越峠~(軌道)~架線場~(大杉谷索道で宮川横断)~索道終点~(軌道:大杉谷上線)~(不動谷索道)~(軌道:不動谷線)

昭和6年に部分開通、昭和27~8年に全盛期、昭和33年に船津~架線場 間廃止、昭和49年頃全線廃止。

西裕之氏著「全国森林鉄道」を予備知識に、できれば大阪営林局管内の森林鉄道を調査された伊藤誠一氏著「林鉄の軌跡」を読んでから現地に行きたいと思っていたのですが、こちらは絶版で手に入りません。

まあ、とにかく一回行ってみるか・・・というわけで、国土地理院1:25,000地形図「引本浦」と、「大杉峡谷」を携え、青春18きっぷで朝6時に京都を出発しました。

↑よく停まる伊勢市行き各駅停車。アーバンライナーとの「並び」 津にて

 

 ↑よく停まる伊勢市行き各駅停車。阿漕で快速「みえ」と交換。

予定では船津へJRで行き、そこから歩こうと思っていたのですが、この日は3月初旬にしては寒風強く、車内で地図を眺めているうちに、目的地はけっこう深い谷であることもわかり予定変更! 

松阪でレンタカーを借りました。

レンタカー(トヨタist)にはカーナビが装備され、船津駅をセットしておけば、途中でどう脱線しようと常に船津駅までの最短ルートを表示し続けてくれました。車+地図情報+風よけカプセルで6千円は安い借り物です。

途中、阿曽で「エコミュージアムセンター」を発見しました。

中に入り、道路状況と森林鉄道について尋ねたところ、スタッフの方が親切に大杉谷まで電話をかけて調べてくれました。

船津から大杉谷へ抜けるルートは災害で通行不能、森林鉄道を知っている方はあいにくお留守でした。

12時過ぎ、船津駅に着き、近くのお年寄りに話を聞きました。

 ①船津駅南側の自動車学校が、昔の貯木場跡。

 ②森林鉄道は貯木場から、大河内川沿いを登った。

 ③途中にインクラインがあった。

 ④軌道跡は道路になっている。軌道跡は残っていないと思う。

森林鉄道のルートが銚子川沿いでないことがはっきりし、大河内川沿いを行くことにしました。

写真①船津駅 

↓跨線橋上から多気方面を眺める。右側の自動車学校が貯木場跡

  

写真②落合橋付近

ここは、大河内川支流の瀬場谷にかかる落合橋です。橋の下流側にコンクリート橋梁の残骸がありました。落合橋の架設は昭和39年、森林鉄道の廃止は昭和33年。森林鉄道の橋である可能性は高いと思います。

写真③河床上昇で枯れた森林

 台風災害の爪跡は大河内川流域もすさまじいもので、河床が土砂ですっかり埋まっていました。ここではヒノキ林が埋没し枯れていました。おそらく数メートルの土砂が新たに堆積したように思います。

写真④インクライン跡

 途中で車を置いて、林道を歩くこと30分、地形図から推測するとインクラインの位置はこの谷です。谷沿いの広葉樹と針葉樹の境界が直線的ですね。

ここで午後3時。そろそろ帰途につかないと、京都までたどり着けません。

松阪で車を返し、帰りの列車で軽く一杯・・・・。

青春18きっぷ+レンタカーの旅は、「濃い旅」になりました。

 

 


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KTR野田川駅の不思議な車両 [②旅・鉄道]

JR野田川駅東側の引き込み線に、このようなものが止まっていました。詳しく観察できなかったのですが、これ一体何でしょう?

機関車?巡視車?

 


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ようこそ森林へ メニューをご覧下さい [①森林業]

 

↑森から見る 街のむこうの森 街に接する森は多くの恵みを与えてくれる (京都)

  「森林はなぜ重要なんですか」 「森林にはどんな働きがあるんですか?」

このような森林系「そもそも論」の問いに答えることは、最初楽しく、終わってみればかなりゲッソリ、けっこうやりにくいものです。

時間をかけて「そもそも論」を話せば退屈を招き、いきなり話を絞り込めば「木を見て森を見ず」を演じてしまいます。

実はこの「やりにくさ」は、森林の現状と、森林の持つ多面的機能としっかり絡んでいるのです。

森林がレストランで、森で働く人をシェフとするなら、メニューが豊富なほど、またお客が来るほど、シェフははわかりやすいメニューを用意して客をお迎えしなければなりません。

ところが、元々社員食堂だったこのレストランにメニューはなかったのです。お客を迎えるならメニューを備えなければなりません。

メニューをごらんください

森林を理解するポイントは三つあります。

  1. 本来、森林は人に役立つ「はたらき」をいっぱい持っていること。
  2. いっぱいある「はたらき」は、一カ所の森林でも、いくつか同時に発揮できること。
  3. 森林の「はたらき」は万事、漢方薬のごとく「人に穏やかに」効くこと。

この3本柱を頭の中に据えて、聞き手に関心があり、わかりやすいと考えられる機能をメニューから探します。

メニューを開ける前に、およその区分を話す方がわかりやすいでしょ。「こちらのページはお食事、こっちはお飲物です」といったノリで。

  1. 物質生産機能
  2. 公益的機能

に分けると、わかりやすいでしょう。

物質生産機能は、森の産物をgetすることで、木材生産、山菜・きのこ、さらには森で育った動物も含みます。水と空気は含みません。

公益的機能は、「モノ」ではなく、安心、安全、やすらぎ、学びのように「心」でgetするものです。但し水と空気を含みます。

公益的機能はさらに細かく分かれます。

  • 生物多様性保全
  • 地球環境保全
  • 土砂災害保全
  • 水源涵養
  • 快適環境形成
  • 保健・レクリエーション
  • 文化機能

メニューはもう少し細分化します。

MENU 

日本学術会議の答申、「森林の有する多面的機能」(林野庁HP)

としてメニューが示されています。これが標準メニューです。

一店一店のレストランに異なるメニューがあるのと同様に、それぞれの森にそこだけのメニューがある方がいいのですが、今は標準メニューが示されたところです。

まだ、「シェフのおすすめ」も入っていません。その先に話し合いが必要です。

自分が関心を持っていることはコレ、森に期待することはこの部分というように整理して話が始まれば、話も深まりブレません。

従来、この区分が学識者の間でも「まちまち」だったので、入口でいきなりdeepな議論になり、もうその時点で専門家以外の人々はついていけなくなってしまうのでした。そこで平成13年、「日本学術会議の答申」として権威をもって整理され、このメニューが世に示されました。

さて、メニューを通じて、聞きたいこと、話すことが決まれば、あとはもうプロの腕の見せ所です。得意分野は雄弁に、手薄なところはそれなりに、手に負えないところは詳しい人を紹介し・・・・。とにかくプロはプロであり、お客様は神様なのです。

 社員食堂からレストランへ

森林の位置付けは「木材生産工場」から「木材生産機能も含めた国民みんなの財産」にシフトしつつあります。シフトと言っても決してすべてが代わるのではなく、(前述「ポイント1、2、3」参照)、本当に変わるのはごく一部と思います。

この変化は、大きな工場の社員食堂のひとつを、見学者向けのレストランに変えるようなものでしょうか。社員もさりげなく利用でき、メニューは豊富になった。来場者も楽しいし、社員も楽しい!お客様の前では緊張するなあ、と社員が思った時は、もうひとつの社員食堂に行く・・・・。

森林ファンが増えれば森林は楽しい世界になります。

鉄道ファンがいなければ、鉄道はバスやトラックと同様の1輸送システムでしかなかったでしょう。

社会的共通資本は、ファンがいるといないで大違いです。

森林も鉄道も社会的共通資本です。森林は関係者が一丸となって、もっとファンを増やしましょう。

 

 

 


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北近畿タンゴ鉄道 一日券の旅 [②旅・鉄道]

「まるごと丹後乗り放題きっぷ」で北近畿タンゴ鉄道(以下KTRと略)の旅を楽しみました。2月11日、くもり時々激しいみぞれの天気、せっかく立てた予定も「お天気任せ」で随時変更となりました。

気の向くままにいつでも行き先変更できるところが、「一日券」の魅力ですね。特にKTRは特急自由席も乗り放題なのが嬉しい。

↑特急が来た  いくつになってもわくわくする瞬間 木津温泉にて 

京都を出たのは5時45分。西舞鶴駅で乗り放題きっぷを買いました。

切符として使っている間は、ポケットに入れたら顔を出すし、財布にしまうとリボンが邪魔・・・ずいぶん中途半端なサイズの切符だと思っていました。

役目を終えた瞬間に「しおり」であることに気付きました。

今度から丹後の旅には本を持って出かけよう!

↑10:19久美浜駅

久美浜は、明治初期の3年間、県庁所在地(久美浜県)でした。

400年前からの豪商稲葉本家を訪ねました。

今は京丹後市が管理し、無料で見学できます。管理人さんと思しき方に話しかけたところ、案内していただくことになりました。いつしか聴衆も増え、約1時間詳しく説明していただきました。

  • 稲葉家は稲葉一鉄の子孫。糀屋から始まり、沿岸交易から金融を手がけ豪商に。
  • 母屋は120年前、奥座敷は180年前の建造。ケヤキの扉、十数メートルの桁丸太、サクラの床、マツの面皮柱等々立派な木材ふんだんに。
  • 二つの庭。ひとつは母屋の前で新たに設置で佐野藤右衛門作。奥座敷の庭180年前からずっと庭。岩の上にヒノキが生えている。

等々・・・・・

ありがとうございました

↑ お雛様を展示中でした。十畳間いっぱいに並べられた豪華なもの。

12:02久美浜発

12:17木津温泉

駅周辺は「かに」の看板でにぎやか。この雰囲気に誘われ下車して地酒買いました。この駅がにぎやかと言うより、他の駅が寂しすぎる。にぎやかなショッピングセンターは駅と駅の間にある。もっと駅前がにぎやかになれば自然と乗客数も増えると思います。

13:19木津温泉発 丹後エクスプローラに乗車

 

↑ 横断歩道奥の小さな橋は、オール木製です。KTR車内より (丹後大宮~野田川)

野田川、天橋立で下車。いか徳利を手に入れて。酒と徳利をぶらさげ帰途につきました。

 

 ↑ 天橋立 ここまで電化。JR乗入れEC特急と線内DC特急の接続駅となっています


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京都市営地下鉄 駅名募集 新駅名を考える旅 [②旅・鉄道]

京都市営地下鉄東西線で、新設の(仮)西大路駅と(仮)天神川駅の駅名募集の車内広告を見かけました。

選定基準は、(1)わかりやすく,親しみやすいもの (2)駅の所在地にふさわしいもの (3)京都市営地下鉄の他駅の名称と調和するもの。

これはおもしろい!と、軽い気持ちで考え出したのですが、けっこう難問で現場に出向いて考えることになってしまいました。市バス1日券500円也。う~ん交通局の思うつぼにはまっていく自分に苦笑。

 1 西大路駅(仮称)の場合、約3km南のJR東海道線に同名の駅があります。これまで地下鉄は四条、五条、丸太町、十条の4駅が京阪・近鉄と「違う場所の同名駅」で、日常でさりげなく混乱を招いています。仮称の西大路では、この混乱の原因を一つ増やすことになるので避けたい。所在地の地名を取れば「西ノ京」。交差点名を取るなら「西大路御池」。

私は、市内中心部「碁盤の目の交差点」の地下鉄駅は、バス停名と合わせた方がいいと思います。鉄道の駅名としては多少長くなりますが、現実にその長い交差点名が地名になっているので、むしろわかりやすく、それが京都の特長です。また、ネット検索を考えれば、全国唯一の駅名の方がいい。例えば、九条駅は奈良にも、大阪にもあり、何かとややこしい。

こうした「思い」も込めて、新駅名は「西大路御池」が良いと思いました。

さらにこの際、

鞍馬口→烏丸鞍馬口(これで鞍馬方面への誤下車も防げる!)

今出川→烏丸今出川

丸太町→烏丸丸太町

四条→四条烏丸

五条→五条烏丸

九条→大石橋

十条→十条烏丸

に改称してはいかがでしょう。

 

2 天神川駅(仮称)の場合は、新駅所在地の地名を取れば「太秦」。これは同駅名が京福電車とJR山陰本線に、それぞれ離れた場所にある。交差点名を取るなら「天神川御池」。また嵐電最寄り駅なら「蚕の社」。

ちなみに新駅周辺は地下鉄開通に併せて再開発が行われ、右京区役所や、京都市交通局がここに移転するようです。

そうなると、開通後は右京区の中心的位置になるので、それを見越した命名がが良いと思います。

「天神川」でも悪くありませんが、JR西日本(広島県)に同名駅があるので、ここはズバリ 「右京」 でどうだ!

 

↑ まとめるとこうなります。昔の市電の路線図に似てきたかな?

 

 ↑天神川(仮称)駅 工事現場の完成予想図。嵐電との接続はこうなる。

↑ 蚕ノ社駅から新駅方向を望む。ブルーシートの工事現場が新駅。


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沖縄都市モノレール [②旅・鉄道]

路上電車 沖縄都市モノレール

       

  • 儀保駅(終点首里の一つ手前)から那覇空港方を望む。市立病院前~首里間は連続する登り坂。ホームは展望台のようでした。

 

 

     

  • 首里から駆け下り、儀保駅に到着する那覇空港行き。

 

 

      

  • 首里~儀保間を歩きました。道路のグリーンベルト上をモノレールが走っています。屋根より高く、排ガスもなく静かに走り去るモノレール。環境への影響は少ないと感じましたが、道路からの景色は「さっぱりわや」でんなあ。

   

 

  • こんな標識あり。標識の下が曲がっている。よく考えてみると、これ

けっこう怖い!

 

 

 

     

  • 駅舎は本当に道路の上にありました。クレーン車はたたんで走りましょう。   儀保駅にて

 

あなたの街は路面電車派?それとも路上電車派?

路面電車の長所=モノレールの短所

  1. 駅(停留場)の乗降が楽。電車の姿が見えたらすぐ乗れる。モノレールはホームに上がるのに時間がかかる。電車の姿を見たときはもはや手遅れ。
  2. 路面電車は車両をケバケバにしない限り、景観上問題にならない。モノレールは街路からの圧迫感あり。
  3. どう考えても道路上に線路を引く方が安い。モノレールは土地代はかからなくても設備投資・駅の維持管理費がかかる。
  4. 路面電車はネットワークの形成が容易で発展性あり。分岐が簡単にできる。繁華街に電車が集中しても閉塞のない路面電車は何とかさばける。モノレールの分岐は「大仕掛け」で、両渡りポイント上ではすれ違いができない。面的なカバーは支線を作るよりクネクネの線形にした方がいい。
  5. 路面電車は故障してもすぐに降りることができる。モノレールからの脱出はレスキュー隊頼み。

 

モノレールの長所=路面電車の短所

  1. モノレールは自動車の影響受けず、ダイヤ正確。路面電車は交通規制でいくらか改善できるが、どうしても遅れは出やすい。
  2. モノレールは、とにかく存在感あり。路面電車よりも、地下鉄よりも、新交通システムよりも。乗車中の展望抜群!街が遊園地になったみたい。
  3. 川の上も利用でき、急勾配も可能。路面電車が川の上を走ることは、モノレールより大変だろう。
  4. モノレールは無人運転可能。路面電車は路面を走る限り運転手必要。

 

那覇の街とモノレールの相性はバッチリだと思いました。観光客にも魅力的で、多少くねくね走ってもライバルがバスだけなら安泰ですね。

京都はモノレールより速い地下鉄など鉄道網が張りめぐらされ、市街地では景観への配慮が必要。路上電車よりは路面電車の方がいいと思いました。    

 


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神岡鉄道 [②旅・鉄道]

神岡鉄道の前身、国鉄神岡線は1966年に開通しました。当時小学生だった私は「新線 神岡線」にぜひ乗りたいと思いましたが、機会に恵まれず40年、やっと乗る機会に恵まれたのは廃止6日前の2007年11月25日でした。

神岡鉄道の総力を結集した2両編成の気動車は満員の乗客を乗せて猪谷を発車。あえぐようにトンネルを登り、終点奥飛騨温泉口に15分遅れで到着しました。

車両はキハ20の足回りを利用、パワー不足が遅れの原因だったように思います。

 

終点奥飛騨温泉口駅にて

奥飛騨温泉口から飛騨神岡まで、神岡町内を歩きました。上空を一跨ぎする陸橋など、あと6日で廃止になるとは思えない立派な設備で驚くばかり。お別れ乗車ではなく遅すぎた新線探訪でした。

奥飛騨温泉口で、乗車を待つ乗客。神岡鉄道開業以来の賑わいだそうです。


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京福北野線 [②旅・鉄道]

京福電車北野線は、単線で10分間隔の運転です。3本の電車が、途中「鳴滝」と「竜安寺道」の2カ所で交換しています。

 以前は8分間隔でした。5本の電車が、途中「常盤」、「御室」、「等持院」の3カ所で交換していました。確か北野白梅町は交互発車で、いつ行っても電車が待っていた記憶があります。

 多すぎるように感じる交換駅ですが、いくつかの運行パターンに対応できるようにつくられている事がわかります。

8月12日、帷子ノ辻から北野白梅町へ、「かぶりつきの旅」を楽しみました。

↓ 帷子ノ辻 現在は嵐山線も北野線も10分間隔。四条大宮行き、嵐山行きが相次いで到着した後、北野線が発車します。

↓ 帷子ノ辻発車。右側の行止り3番ホームには電車が1本昼寝中。

 

↓ ホームを離れたところ。右側に事業用車が留置されています。ここに置いておけば、どこでもすぐ行けますね。

↓ 左へ大きくカーブして、JR嵯峨野線をアンダークロス。JR太秦駅はすぐ西(写真では左側)にあります。正面にJRの電車がいますが、住宅の壁とよく似た色で保護色になってますね。

↓ 常盤駅進入。

↓常盤発車。常盤~鳴滝は複線です。8分間隔の時はこのあたりですれ違っていたと思います。

↓鳴滝停車直前。行き違う電車はすでに鳴滝駅を発車しています。

 ↓ 鳴滝発車。再び単線に。

↓ 鳴滝~高雄口間。左右の緑は桜です。春は桜のトンネルで、電車に乗りながらお花見ができます。桜のライトアップ、室内灯消して徐行運転・・・なんてサービスもありました。

↓ 高雄口 ワンマン化の時に帷子ノ辻方面行きのホームがカーブ右側に新設されました。これは白梅町方面行きホーム。

↓御室。交換駅ですが、10分間隔ダイヤでは交換はありません。

↓ 妙心寺 ここもホームは上下分離です。

↓ 竜安寺道 行き違い列車が待っています。 

 ↓ 竜安寺道を出ると、すぐに等持院の駅が見えてきます。

↓終点北野白梅町接近。駅は3面2線です。

↓ 駅構内にある市バスの案内板。東・南・北へ、バスが多数走っています。


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富山ライトレール [②旅・鉄道]

森林鉄道の帰りは日本海回りでに乗車しました。富山駅近くに車を止めて、岩瀬浜往復。けっこう賑わっていて往路の「かぶりつき」は子供達の特別席になっていました。
 復路は空いていて、童心に戻り特別席を楽しみました。

↑① 岩瀬浜駅 電車とバスの接続 便利よさそう!


↑② 車内の案内表示です


↑③ 大広田駅入線 ここに車庫がありました


↑④ 奥田中学校前 右側のポイントは、将来の複線化のため・・・・


↑⑤ 奥田中学校前~インテック本社前 数百メートル進んだら再びポイントが。
  複線化はごく短い。京福北野線 常磐~鳴滝のような使い方をするのかな?


↑⑥ 富山駅北 けっこう賑わってます。


↑⑦ おなじみの富山地鉄富山市内線 同じ路面電車でもこちらは「こってり味」ですね。


↑  富山駅東側のボウリング場に駐車しました。ボウリングやったら4時間無料。
  富山ライトレール富山駅北まで徒歩10分。
  それにしても名前がすごい
  ちなみに、富山ライトレールの駅名にもなっている「大阪屋ショップ」にも広い駐車場がありました。

   


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赤沢森林鉄道探訪記 [③森林鉄道]


↑森林鉄道記念館から乗り場を眺める

1 行った日 2006年7月29日(土)

2 赤沢森林鉄道の概要(乗車の時にもらったパンフより)
 ① 運行開始 昭和62年
 ② 運行目的 林業に活躍した鉄道施設の保存(上松町観光協会が運営?)
 ③ 運行距離 1.1km(森林鉄道記念館~丸山渡)
 ④ 運行車両 4tディーゼル機関車+客車5両
 ④ 乗車料金 大人700円、子供400円(片道設定なし、8月5日~15日は別料金)

↑ 30分間隔 待たずに乗れる森林鉄道

3 森林鉄道記念館の保存車両
   SLボールドウィン1号機、C型ディーゼル機関車、F型ボギー式ディーゼル機関車
   モーターカー、貴賓車、理髪車、制動車、タンク車など
  丸山渡にやまばと号客車、ほか保守用現役と思われる無蓋車あり 
 
↑制動車 究極の個室車 車長より車幅の方が広い!

4 探訪の記録

↑ 森林鉄道乗り場 機関車の入れ換え中

↑ 出発 時速7kmの旅 

↑ 線路はほとんど平坦 緑の中に吸い込まれるよう・・・丸山渡へ向かう

↑赤沢名物オオヤマレンゲ すっかり花を落とし、元気に光合成に励んでました 

↑ピン・リンク式連結器。1往復の間に4回の付け外しが行われる。実に仕組みがわかりやすい連結器である。丸山渡にて。

↑丸山渡にて。機回しのあと発車 板張りのホームと歩道がある。

↑森林鉄道記念館 森林鉄道って、「林道」なんや~。

5 感想
 森林鉄道よかです。歩く森もいいけれど、乗って眺める森もいいですね。

↓木曽から伊那へ ついに開通!権兵衛トンネル 左側の坑口は先進導坑か?


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「極端」からの脱却:市民参加の森づくり その大きな役割 [①森林業]

京都市左京区の大文字山周辺では、国有林、京都市、地元市民団体、社寺等の関係者が連携して森づくり活動に取り組んでいます。
  この一帯は私の子供時代の遊び場で、40年近く親しんだ山でもあ ります。 その頃の大文字山は、麓は今と同じように暗く、山の上はもっと明るかったと思います。シイ林の整備が行われたエリアは、地元関係者、専門家の意見をまとめた結果、ごく狭い範囲であったものの、「ここは手を付けずに残したい」「ここは拡大を防ぎたい」という意向がはっきりしました。残したいエリアは昔から暗い森だった所でした。こうした意向のベ ースにあるものは、「科学性」、「昔の記憶」、「歴史」、「信仰」などであると思い ます。
 プロでなければできない作業、市民参加の森づくり作業が向いている作業があることがわかりました。例えば伐採はプロの仕事ですが、伐採後の萌芽処理は、剪定ばさみを使 ってできる楽しい冬の作業でした。

        ↑ シイノキ伐根からの萌芽
 次なる課題は、残材の有効利用です。昨年12月に、森林バイオマスの利用を考えるイ ベントが開催され、関係者の範囲が利用の分野まで一気に広がることを体感しました。
 森は多少のわがままには答えてくれます。極端がいけないのです。極端な伐採が過去の森林災害を、極端な放置が現在の環境問題につながっているのだと思います。
 市民が森に関心を持ち、議論を行いながら手を入れ続けてゆくことは人にとっても、森にとっても大変良いことだと思います。 
   1)大学、試験研究機関など経験・知識ある人の意見を聞き、
   2)関係者がよく話し合い、
   3)意見を融合して「妥協点」を求め、
   4)実行することが
地域にとって最高の森づくりだと思います。
2006.5.19 シイノキシンポジウムから思うこと


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なぜ今森林鉄道か? 市民と森林を森林鉄道で結ぼう! [③森林鉄道]

なぜ今森林鉄道か?
1 鉄道はエネルギー消費が少ない!
 鉄道は鉄の上を走りエネルギー消費量が少ない。例えばトンキロ当たりのエネルギー消費効率は鉄道を100とした場合、営業用トラックでは603と言われている。
(JR貨物HPより)

2 山から木をおろすのに化石エネルギーはいらない!
日本では、森林(生産地)が山地にあり、町(消費地)が川下となるので、搬出時にはほとんどエネルギーを消費しない。運搬台車の運び上げ、作業員の輸送が機関車の主な仕事。薪を燃料とするSLを使えば化石エネルギー使用ゼロ。(戦前の多くの森林鉄道がそうだった)

3 地球に与えるダメージが少ない!
 幅員が狭く(2m程度)、大型トラックの通行する林道のおよそ半分。土木工事の量が少なくなる。

4 「鉄道」であり、もちろん旅客も輸送できる
 木材を搬出しないときは、森林散策や観光などの人員輸送ができる。森と人の距離を近づけることができる。

 森林散策に向かう人員輸送用モノレール ~府民の森ひよし「新緑祭2006」にて(京都府南丹市)~

5 鉄道として使わなくなってからでも使える
 鉄道規格の縦断勾配であれば、線路撤去後でも舗装すれば車椅子の通行が可能であり、廃線敷きや休止路線でも森林療法のコースなどとして利用できる。

6 森林鉄道を活かした市民参加のバイオマス循環林をつくろう
 現役の森林鉄道は、京都大学の芦生森林軌道と屋久島の2路線しか残っていないと言われています。もう森林鉄道の役割は終わってしまったのでしょうか?

極端に放置された里山を再び活かす方法があります。
① まず、放置された大木を少しづつ伐採し、運びおろしてチップにします。
② そのチップを乾かし、粉にして固めてペレットにします。
③ ペレットにすればペレットストーブとして町の中の家でも使えます。
④ そうすれば、市民が里山整備の活動に参加したごほうびにペレットをもらうことができ、ペレットストーブも普及します。ペレットをgetする楽しみも増えて、森林づくりに参加する市民はますます増えるでしょう。 
⑤ 伐採した後には植林を行います。これも市民参加で行います。
⑥ ①~⑤の輸送を森林鉄道が一手に引き受けます。ひとつの山をいくつかのエリアに分けて数年づつずらして繰り返し、その間を森林鉄道でつなげば、永久に森林資源を生産し続けられるバイオマスの森が完成します。
これ、やりませんか? 


      ↑数少ない現役路線 京都大学芦生森林軌道 研究用にしか使われていない
       「もったいな~い」


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「一言ではよう言いませんが」・・・を言うページです [はじめに]

 自然の仕組み、林業のこと、鉄道という私の趣味・・・一言で説明しろと言われるとけっこう難しく、でも「ゆっくり読んでもらえばわかりますよ」ということが多くあります。

このページはじっくり読んでいただきたい「考え」や「仕組み」、「思い」、「記録」を、時間のあるときや、考えのまとまったときに書き綴ったものです。


 私のメールなどからここへリンクしてこられた方は、話の「つながり」を納得していただけると思います。
 突然ページを訪問いただいた方は、各記事間の関連性に脈絡がないとお感じになると思いますが、主旨をご了解のうえ,車内広告を眺めるような気持ちでご覧下さい。

                             てくてく交通社   森林快速運行室より


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旧加悦鉄道2号機関車重要文化財指定記念シンポジウム [②旅・鉄道]

1月14日(土)、暖かな雨が降り続く中を京都から普通列車を乗り継いで宮津まで行って来ました。

基調講演
講師:小池 滋さん(英文学者・財団法人日本ナショナルトラスト評議員)
演題:鉄道遺産保存のあり方
 2号機関車重要文化財指定、これは到着点ではなく出発点。
 イギリスの鉄道から学ぶ二つのポイント。
① 先人が残してくれた産業文化財を後世が受け継ぐ姿勢は、お手本にしたい。
 →「鉄ちゃん」だけでなく、法隆寺や桂離宮を大切に保存するのと同じ感覚で地元の遺産保存に携わる人々の存在が望まれる。
② 鉄道遺産保存の単位は個人であって、大きな組織に頼るのではなく、助け合ってできる範囲で無理をしないでやる。その方が長続きする。えらい人や大企業に頼むと、やがてえらい人が興味を失うこともある、倒産することもある。

パネルディスカッション
テーマ:地域産業遺産の保存・活用と新展開に向けて
地元パネラーの話題が印象深く、2号機関車の歴史を身近に感じました。
○戦後間もない学生時代の6年間加悦谷から宮津に通う。当時、一日二本の列車は、ほとんど毎日2号機関車が牽いていた。給水を途中の四辻駅で行っていたため、長い停車時間。そのとき機関士になぜ2号機関車ばかり使っているの聞いた。その答えは2号機関車は、夜に古枕木を一本ボイラーに入れておけば朝すぐに火が回って効率が良く、使いやすい機関車とのこと。それが長く使われた理由ではないか?(パネラー)
○2号機関車はかつて「行川アイランド」に移す計画があったが、潮風で持たないとの反対意見があって取りやめになった。あのとき移さなくて良かったと思う。(会場から:OBの方?)

感想
①小池 滋さんの講演はじめて聞きました。鉄道が趣味でよかった!という余韻。
②保存鉄道については厳しさを実感しました。
③会場は満員。埋め尽くしたのは日本冶金の制服パワーでした。イギリスの例はお手本として、日本の保存鉄道は企業が本気になって、鉄ちゃんを集め、それを見て地域が脇を固めるといった構図じゃないでしょうか?
その意味でも第一歩は成功かな?


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高野山森林鉄道跡を訪ねて [③森林鉄道]

高野山森林鉄道は、紀ノ川沿いの九度山を起点に、途中細川で花坂線が分岐し、高野山を東西から挟み込むような路線を形成していました。
明治38年に開通、大阪営林局高野営林署の運営で主に国有林の木材搬出を行い、昭和38年に廃止となりました。

2005年11月27日、スルっと関西高野山1dayチケットを使い日帰りツアーを楽しみました。早朝に京都を出て、午前10時に紀伊細川駅に降り立ちました。
駅から西へ、長い坂を降りきったところが細川の分岐点跡です。
西 裕之氏著「全国森林鉄道」77ページの写真(高橋弘さん撮影)を手がかりに歩きました。
半世紀前の写真ですが、山や川の形、当時の面影を残す建物から通過地点が想像できます。

         写真1 細川の分岐点

細川の分岐点は本線と花坂線がしばらく並び、花坂に向かう谷をやや過ぎてから本線と別れ(写真1),築堤・橋りょう・切り通しと、U字形にカーブしながらやや戻るように花坂方面に向かっています。このあたりの様子は(図)にまとめましたのでご覧ください。

      図  紀伊細川付近見取り図 
行く前の予想では地形どおりに川と一緒に分岐していくのかと思っていたのですが、実際にはかなり大回りして高度を稼いでいました。
橋本まで戻り友人と合流し昼食、午後は極楽橋付近を歩きました。
このあたりは大正2年にインクラインが紀伊神谷付近に開設され、一時支線化し、戦後インクラインが廃止され再び本線化されたところです。

   写真2 道路橋の下に残る石張りの橋脚
この歴史から考えると、インクライン化されたあとに南海電車が開通し、再び本線化したときには南海電車が先住者として存在していることになり、この線形は納得できますが、何分定かではありません。
この道路橋を反対側から見たところが(写真3)です。

   写真3  写真2 の橋を紀伊神谷側から撮影 トンネルの奥が極楽橋駅 
何となく森林鉄道の味を含んだ橋ですが・・・どなたかご存知の方がおられましたら、ご教示ください。

結局この日の歩数は33,000歩。いい運動になりました。
軌道跡を歩いた感想は、本当に傾斜が緩いですね。


全国森林鉄道 JTBキャンブックス

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  • 作者: 西 裕之
  • 出版社/メーカー: JTB
  • 発売日: 2001/10
  • メディア: 単行本


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